ヘアメイク、コンテストで活躍する美容師”かあこ“さん【全国売れっ子スタイリスト連載第27回】最高売上165万円/滋賀県近江八幡市

ヘアメイク、コンテストで活躍する美容師”かあこ“さん【全国売れっ子スタイリスト連載第27回】最高売上165万円/滋賀県近江八幡市

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月刊BOBの長寿連載、『日本全国売れっ子スタイリストを探せ!』。なかなか知ることのできない、リアルに売り上げが高い美容師さんの数字や取り組みを赤裸々に取材するこの企画。2004年に「人が好き!美容が好き!」というメッセージを掲げて始まり、名前や形を変えながら日本全国の200名近い美容師さんを紹介してきました。(現在の連載タイトルは「日本全国売れてるスタイリストを探せ!」)働き方、ライフプラン、キャリアプランのヒントが詰まっていて、掲載はいつも雑誌の後ろのほうですが反響の大きい企画です。

今回は月刊BOB2006年6月号掲載の第27回をご紹介します(記事内容はすべて、取材当時のものです)。

Contents

全国売れっ子スタイリスト連載第27回 かあこ[SOHO(ソーホー)/滋賀県近江八幡市]2006年6月号掲載

かあこさんの売り上げデータ

かあこ / SOHO(ソーホー)
Profile
かあこ

SOHO(ソーホー)

本名は久保田高子。1975年(昭和50年)5月29日生まれ。O型、ふたご座。京都市花園出身。京都市立東稜高校卒業。高校1年生のときに京都理容美容専修学校通信課程に入学。高校卒業と同時に美容師資格を取得する。2人姉妹の姉の五十嵐(旧姓は久保田)麻理さんが勤めていた滋賀県石山の美容室で高校時代はアルバイト。かあこさんが高校卒業と同時に京都市内に五十嵐さんが「ブロウドウェイ」というサロンをオープン。本当は東京の美容室の面接を受けて合格するが、制服やヘアスタイルの規制があって断念。姉の美容室で美容人生をスタートする。2001年9月、滋賀県近江八幡市にSOHOがオープンと同時にオープニングスタッフとして入社。

SOHO(ソーホー)
Salon Information
SOHO(ソーホー)

会社名/(有)ヒロ・コムレッヅ サロン名/SOHO 本社/滋賀県東近江市 サロン/滋賀県八日市市、近江八幡市、草津市に4サロン。 彦根市にFC店 社員/37人(スタイリスト16人、アシスタント21人) 創業/1989年(平成1年)4月 代表/谷口博

住所 滋賀県東近江市八日市浜野町2-14 ブラウンシュガービル 1F
MAP Google map
TEL 0120-213-287 0748-22-3287

滋賀のサロンで5年目の今も、指名客の2割は京都時代のお客が1時間半かけて来店

滋賀県近江八幡市SOHOのかあこさん。30歳。姉と一緒に仕事をしていた京都のサロンから移って5年半。しかし今でも指名客の20%は京都時代からのお客で、車や電車で1時間半もかけて来店してくれる。強力な吸引力だ。かあこさんが立つ鏡まわりには笑いがいっぱいある。お客さまに喜んでいただくのが大好き。美容の仕事は天職と思っている。仕事が大好き——。そして何も予定のない休日の前日は、夢を持っているいい飲み友だちを相手に、大好きな酒を酌み交わす。一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に感動する。

姉妹2人のサロンから、見知らぬ土地でSOHOのオープニングスタッフへ

SOHOの「かあこ」と言えば、美容専門誌やフォトコンテストをしっかりチェックしている人たちからは、知る人ぞ知る存在だ。

とにかく「かあこ」という名前が半端でなくインパクトが強い。久保田高子が本名だが、幼いころは自分を「たかこ」と言えなくて、「かあこ」と呼んでいた。久保田の「た」と高子の「た」がつづく語呂も気になる。だから久保田かあこと称してきたが、勤務先を新たにSOHOに移すときに、思い切って「かあこ」で通すことにした。

姉と2人でやっていた京都の美容室を辞めて、隣県とはいえ見知らぬ土地、滋賀県近江八幡市のSOHOへ転身した。

「やはり姉妹だと甘えもあるし、居心地も良すぎるんです。姉からも、ここだと思う美容室があったら行ってみては、とずっと言われつづけていました」

高校卒業前から、姉の当時の勤務先であった美容室でアルバイトしてシャンプーはマスター。TVのヘアメイクの仕事をするのが目標だったから、準備万端、何でもすることが早い。

そして、かあこさんが高校を卒業と同時にオープンした京都の姉の美容室に就職。それから7年半後の2001年9月、SOHO近江八幡駅前店にオープニングスタッフとして入社した。

ここまでで十分なキャリアがあるように見えるが、まだ26歳のときである。

「以前から谷口博オーナーや、鯰江信輔店長とは面識があり、気になっていたサロンでした。八日市市のサロンは遠くて無理ですが、近江八幡市なら京都や大阪のお客さまにも来ていただけると考えました」

移籍第1号のお客は、京都ではなくわざわざ東京からお祝いがてら駆けつけてくれたお客だった。結婚して、京都から東京に引っ越していったばかりの23歳の女性である。

かあこさんが辞めたら、誰が私の髪を切るの?と泣かれたことも

「美容師をやってて良かったなって感じる瞬間がたくさんあります。ちっちゃなときから髪の毛を触るのが好きで、美容師になった姉の姿を中学生のときに見ていて、いいなって思いました。人から喜んでもらえることが好き。だから天職だと思っています」

SOHOに移って、オープン第1号のお客が東京からわざわざ来てくれたのもそう。美容師をしていて良かったと思える瞬間だ。

ご主人の転勤で広島に引っ越した素敵な女性からは、「今まで通った美容室の中で一番馴染めた」とお礼の手紙がきた。1週間後に結婚して大分に引っ越していくお客からは、これまでの感謝の気持ちとして絵をプレゼントされた。4年間のお付き合いだった。 「かあこさんが辞めたら、だれが私の髪を切ってくれるの」と泣かれたこともある。

かあこさんが立つ鏡のエリアはいつも飛び切り明るい。しかし、「お客さまの話にもらい泣きしたり、私も営業中なのに泣いてもらったことあります」というように結構、笑いあり涙ありの濃いつながりで結ばれている。

「私より技術の上手な人はたくさんいます。それでも私でなくてはと来てくれる。そして元気になって帰ってくれます。京都からSOHOに移ったことで、お客さまのありがたさをさらに実感できましたね」

このインタビューは3月5日、日曜日の早朝に行ったが、当日の予約は地元のお客が9人、京都からのお客が6人だった。 「私の晴れの取材の日(笑)。それが伝わったのかな。車や電車で1時間半もかけて京都から来てくれはる。うれしいですね」

今も指名客の20%は、京都時代からのお客だ。「姉からよく言われたのが、いち美容師としてよりも、1人の人間として付き合いなさい、でした」

テレビでのヘアメイクの仕事も実現、JHA連続入賞、トレビは日本代表でベルリンへ。次は独立が目標

オープン当初は指名予約を30分に1人のペースで入れていたが、今は45分に1人のペースにスローダウンした。 「30分に1人だと考えられなくなる(笑)。45分なら1人ひとりのお客さまにしっかり対応できます」

というのも、京都では姉と2人のサロンだったため、シャンプーからすべて自分でこなすシステムでやってきた。だからヘアカラーのホイルワークは自分でやるし、パーマもフロントのロッドだけは最低でも自分で巻く。

「美容師が100人いたら、100通りのやり方があると思います。今のやり方が私のスタンスですね」

大阪のTV局に売り込んで、若いときからの夢だったTVのヘアメイクの仕事もしている。かあこさんは今30歳だが、35歳までには自分のサロンを持ちたいと考えている。

「TVのヘアメイクの仕事も楽しいけど、お客さまとのつながりは宝物です。これは忘れてはあかんこと。日々、お客さんには気づかされることが多い。だから両方やれたら、もっと仕事が楽しめると思います」

ジャパンヘアドレッシングアワーズ(JHA)は04年にニューカマー、05年にライジングスターにノミネートされた。ウエラプロフェッショナル主催のトレンドビジョンでは03年、日本代表としてドイツのベルリン世界大会まで出場した。

「SOHOにはそんな活動へのバックアップがあります。TVのお仕事も土曜日に行かせてもらっている。ありがたい。ファッション誌、美容専門誌にもブックを持って売り込みに行きます。滋賀県というハンデをカバーするには、自分から動かなきゃダメ。いつか来る、いつかなんて永遠にないんです(笑)」

夢のある人と語るのが好き。一緒に飲んで、一緒に泣いて、一緒に感動したいという。

ボブログ編集部
執筆者
ボブログ編集部

成長し続ける美容師のための髪書房ウェブメディア『ボブログ』。これまでにないスピードで変革する時代に必要な情報【パラダイムシフトの芽】をいち早く見つけ、掘り下げ、新しい常識を提案します。

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