
日本でいちばんローカルなヘアサロンはどこだろう?
商店街にある昔ながらのヘアサロンや、山奥の一軒家サロン。いや、もっと遠くを見てみよう。
東京都心から約360km。伊豆諸島の最南端にある絶海の孤島・青ヶ島。
人口160人ほどと、日本でいちばん人口の少ない村に、たった一軒だけヘアサロンがある。名前は〈青ヶ島の美容室〉。


ハサミを握るのは島民ではなく、東京・西荻窪のマンツーマンサロン〈naichi〉のスタイリスト、oonoさんだ。彼は年に5回だけ、船やヘリを乗り継いでこの島を訪れ、数日間だけ “日本一ローカルなヘアサロン” を開く。
なぜそこまでして島に通うのか。ヘアサロンのなかった場所に、一からサロンをつくるとはどういうことなのか。話を聞いた。


「ぎっくり腰になって、3日くらい寝込んだことがあったんです。その時に、今の仕事がずっとできるわけじゃないなって考えてました。だったら、自分にしかできないことをやってみたいなって」
そんなときに訪れたのが、青ヶ島だった。

島には1軒もヘアサロンがなく、民宿の女将さんに「不便じゃないですか?」と尋ねてみても、「そんなに困ってないよ」と返ってきた。自分で切ったり、知り合いに頼んだり、島外へ出るタイミングで済ませる人がほとんどなのだという。
「それでも、やってみたいって気持ちが勝っちゃったんですよね。ここで、自分のサロンを1から作れたらって思ったんです」

最初は借りた倉庫の一角にテーブルと鏡を置き、本土から道具を持ち込んで施術を始めた。いわゆる出張美容という形で、保健所にも問題がないことを確かめ〈青ヶ島の美容室〉はスタートした。
※美容師法では原則「美容所(=保健所の登録を受けた施設)」でのみ施術が認められているが、例外として美容所のない山間僻地・離島では住民の求めによる出張美容が認められている。
最初は来店も10人に満たなかったが、倉庫を貸してくれた女将さんが声をかけてくれるなど周囲の協力もあり、やがて賑わい始めた。しだいにカラーやパーマを求める声も出てくるようになった。

「そうなると、やっぱりちゃんとしたヘアサロンとしてやっていきたいなと。継ける覚悟もできるし、僕のモチベーションも保てる。何より、島の人との信頼関係をちゃんと育んでいける気がしたんです」
2019年5月、青ヶ島村で初の美容所登録を目指して動き出した。台風やコロナ、資材の遅れなど離島ならではのトラブルも重なり完成まで1年かかったが、翌年10月に〈青ヶ島の美容室〉は正式オープンを迎えた。

〈青ヶ島の美容室〉でサロンワークを行うための道のりも一筋縄ではいかない。「選ばれたものだけが行ける島」と言われるほど、上陸は日本屈指の難しさを誇る。

「次は日曜日から行くんですけど、まずサロンワークを終えたら浜松町に向かいます。深夜のフェリー『橘丸』に乗って、翌朝9時ごろ八丈島に到着。うまくいけばそのまま青ヶ島行きの『くろしお丸』に乗り継げて、昼の12時ごろに着く流れです」
片道13時間。それも「くろしお丸」の出航率はおよそ50%。波の状況によって欠航になることもあれば、出航しても着岸できずに引き返すケースもあるという。その場合は八丈島で一泊し、翌朝のヘリコプター便で再トライ。だがそのヘリも定員9名の1便だけ。争奪戦になることも多いそうだ。

ようやくたどり着いた青ヶ島には、意外にも若い暮らしが広がっているという。
「大きな病院がない影響もあって、30〜40代がボリュームゾーンです。学校の教員や外部から赴任してきた人も多くて、ヘアスタイルのニーズは本土とほとんど変わりません」
営業は1回の渡航あたり約5日間。そのあいだにおよそ40名の施術をこなす。営業時間はあえて決めず、予約に合わせて朝から夜遅くまでサロンに立ち続ける。滞在中は、宿とサロンを往復するだけの生活になる。

「オープン当初はシャンプー台もなくて、カラーの後にタオルターバンをして自宅でお客さま自身に流してもらっていました。それでも“ローカルだからこのメニューはできません”とは言いたくなくて。今では移動式のシャンプー台も導入して、ダブルカラーもツイストスパイラルも対応できるようにしています。いままでお客さまが諦めていたヘアデザインを提供できる楽しさもありますね」
料金も、普段サロンワークする西荻窪の〈naichi〉とほぼ同じ水準(カット5,500円)。補助金や支援を受けているわけではなく、年5回、1回あたり5日間というスケジュールに予約を集中させることで、交通費や宿泊費などを含めても仕事として成り立つ収支を確保できている。

「髪を切るだけなら、今までも誰かがやってたと思うんです。免許を持ってるかどうかとか、デザインがどうかって話はあっても。でも僕は、“美容師がヘアサロンという空間で”っていう違いをきちんと形にしたかった。出張美容じゃなくて、ちゃんとヘアサロンとして。だから美容所登録を決めました」
登録すれば自分の中で「ちゃんと続けなきゃ」という覚悟も芽生えるし、関係性も自然と変わっていく。信頼の上に成り立つものだからこそ、サロンとしての形にこだわった。
ただし、それで“選ばれ続ける”保証があるわけではない。
「やっぱり来ない方もいますよ。僕のスタイルが合わなかったり、1回来てみたけど次はほかで切るっていうケースもあります。1つしかサロンがないというのは独占状態とも言えるけど、あぐらはかけないっていうか。たとえば『角刈りで』って言われても、僕は角刈りやったことないんです。だから見よう見まねでトップを平らにしてみるんですけど、やっぱりそれは違うものなんですよね。リピートに繋がらないこともあります」

ライバルがいないとは思わない。隣の八丈島にはいくつもヘアサロンがあり、ヘリや船で行くことだってできる。たとえ離島でも選ぶ側の目は変わらないのだ。
「それでも僕は、この島で人に恵まれてきたと思います。この場所だって、民宿の女将さんの好意で実現できたし、お客さまを紹介してくださったり、支えてくださった方々のおかげで成り立っている。小さな島だからこそ、人とのつながりがいちばん大切ですね」

青ヶ島のヘアサロンは、今のところoonoさんひとりで成り立っている。だが、いつか自分の手を離れる日が来ることも見据えている。

「青ヶ島に通えなくなるタイミングって、絶対どこかで来ると思うんです。ライフスタイルの変化かもしれないし、身体的な問題かもしれない。だからこそ、ここがサロンとして持続できる場所になったらいいなって考えています」
そうしてoonoさんは〈青ヶ島美容室〉での活動をブログで発信している。それはたとえ自分が通えなくなったとしても、次にバトンを受け取る人が現れてくれるように。そんな願いも込めている。
「この場所を作ったことで、やっと何かひとつ、形にできた気がしています。その先に、もし他の美容師さんが“やってみたい”って思ってもらえたらもっといいですよね。無理のない範囲でちゃんと続けて、誰かがバトンを拾ってくれたら。それがいちばんうれしいです」

これまでもサロンのない島に通い、出張で髪を切る美容師たちはいた。だが、離島への往復活動を長く続けることは想像以上に難しい。その難しさを知っているからこそ、oonoさんはヘアサロンという形にこだわり、日本でいちばんローカルなサロンに立ち続ける。小さなバトンをつなぐため、次の誰かがその意思を引き継げるように。

- 執筆者
- 木村 麗音
- Twitter : @kamishobo
- Instagram : @bobstagram_kamishobo
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