巻き髪で時代を変えた。奈良裕也さんは『継続力』で、おしゃれキングのイメージから一流職人へ

巻き髪で時代を変えた。奈良裕也さんは『継続力』で、おしゃれキングのイメージから一流職人へ

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メンズファッション誌『CHOKiCHOKi』の初代おしゃれキングになり、最初はヘアデザイナーとしてのイメージよりモデルのイメージが先行した奈良裕也さん。しかし、2007年ごろからの巻き髪ブームを牽引し、数多くのセレブリティにも支持されて、今ではその名が広く知れ渡ったヘアアーティストです。
センスや技術のみならず、26歳時点でSHIMAの売り上げ・紹介・店販もトップに。デザインと結果で語ってきた一流職人だからこそ、今日の枠にとらわれない活躍がある。そんな奈良さんを押し上げたのは、「自分よりヘアを見て欲しい」という思いでの継続力でした。
月刊BOB2018年11月号「ぼくたちは継続力で、できている」特集から、トップランナーの継続力を深掘りしたインタビューを掲載します。

注)情報はすべて掲載当時のものです

シリーズ第1弾、「72歳、いまだ現役。川島文夫の『継続力』」はこちら

「職人」になるために、 下積み時代は当たり前

「来年でSHIMAに入社して20年目。僕も40歳になります。入社当時はとても緊張していた記憶がありますね。ちょうど旧南青山店と今の青山店が合併したタイミングで入社したので、両店の腕利きのスタイリストたちが一堂に会していてすごく怖い印象でした」

〝SHIMA=奈良裕也〟──今や、そのイメージが当たり前となっている。

第一線でサロンを牽引し続ける奈良さんがSHIMAへ入社を決めた理由はいたってシンプル。ダントツにかっこよかったからだという。

「打ち出しているヘアデザインや世界観がとてもファッショナブルでモード。スタイリストもみんなかっこいいし、入るなら絶対にSHIMAだと思っていました」

入社後、とにかく1日経つのが早かった。疲労困憊で帰宅すると泥のように眠り、気づいたらまた朝が来るという多忙な生活。入社前に抱いていた怖さや厳しさはイメージ通りだったが、緊張感を持って過ごした下積み時代は奈良さんにとって不可欠な時間だった。

「よくテレビのドキュメンタリー番組で、料理人が早朝から深夜まで師匠に叱咤されながら修行するシーンを見ますが、それが普通だと思っていました。そりゃ、めちゃくちゃ怒られるし怖いけど、当たり前だよなって。だって、美容師という〝職人〟になるんだから。アシスタント時代はプライベートの時間がないくらい忙しかったけど、すごくいい経験をさせてもらったと思っています」

同期と支え合いながら、下積み時代を過ごしてきた奈良さん。若手の頃から出来がよかったのかと思えば、じつはシャンプーの試験に受かったのは同期の中で一番最後だった。

「コツをつかむと習得は早いのですが、それに時間がかかった。僕は下手だったから、その分練習しなきゃいけないと思っていました。練習を重ねてだんだん上達していき、1年後のシャンプー試験で一番になることができて。今思うと、あの必死にやった練習の積み重ねのおかげで大逆転できたのかも」

アートディレクターになった今も奈良さんは、そんな初心を常に忘れない。

「立場が上になり、もう自分に対して怒ってくれる人がいなくなった。下の子たちを教える立場になった今、甘えそうになるときは初心に立ち返ることが多いです。そうやってその都度、自分を奮い立たせますね」

モデルの僕ではなく、ヘアデザインを見て欲しい

高3から雑誌のカットモデルをしてきた奈良さん。彼の代名詞といえば、雑誌『CHOKi CHOKi』の初代おしゃれキングだろう。

しかし、意外にも自らが知らぬ間に、突然おしゃれキングになっていたという。

「びっくりしました。自分がおしゃれキングになっているなんて。でも、美容師をやっている以上、このまま続けていたら今後に何か役立つかもしれないと思い、モデルを継続することにしたんです。一般の人にとって等身大の『CHOKi CHOKi』のファッションテイストはきっと響くだろうし、少しでも売り上げに繋がるのならこのチャンスを活かそうって」

22歳でスタイリストデビューした奈良さんはモデルと並行しながら、サロンワークと撮影をこなす毎日を送っていた。しかし、心境の変化が訪れる。25歳のときだった。

「僕自身がフィーチャーされるのではなく、僕がつくるヘアデザインをもっと見てもらいたいと考えるようになったんです。当時、ヘア撮影もやり始めていたのですが、自分が思い描いているイメージを形にどう表現していいのかわからず、苦戦していました」

〝自分は下手だから練習する〟──先輩たちの仕事を見ながら勉強を重ねた努力の結果、奈良さんは、雑誌『SEDA』のヘア特集で初めてトップページを飾ることができた。

「あれは嬉しかったですね。やっと髪の毛で評価してもらえたって。そこからコツがつかめるようになり、モデルを続けながら、ヘアの撮影にも本腰を入れるようになりました」

嶋 義憲氏とともに切り拓いた新しいヘアデザインの風

昨今、ファッション雑誌やヘアカタログにはウェービィなロングヘアは当たり前に登場している。しかし、その先駆けはSHIMAの創業者である嶋義憲さんと奈良さんの二人三脚によるものだったことはご存じだろうか。

2000年代後半、雑誌『CanCam』をはじめとする赤文字系のブームから、巻き髪という新たな波が美容業界へ押し寄せていた。その年、嶋さんはこう宣言した──「今日からロングの巻き髪でいきます」と。

「嶋先生は時代の流れを読んでいたんだと思います。でも、当時の店長会議で、各店舗の店長が「巻き髪はやりたくない」と大反対。当時のSHIMAとはまるで真逆でしたからね。でも、先生に『奈良ちゃんはどう思う?』と聞かれたとき、僕は『時代のニーズがあるのなら、やるべきでは』と答えました」

〝SHIMAは赤文字系はやらないが、これから巻き髪のロングヘアの時代が来る。だからストリートとミックスさせたデザインを〟

─嶋さんの方針で、2007年度のSHIMAのビジュアル広告の方針が固まり、奈良さんがその担当に抜擢された。

嶋さんは奈良さんにこう言う。『奈良ちゃん、ついに時が来たね』──。

「先生は、何かに突出したちょっと変な人が好きだったのかもしれません。個性的なスタイリストは花開くか、つぶれるかのどちらか。でも、売れたら強い。今のSHIMAにもそういう強い子たちはたくさんいます」

当時は、まだサロンに今ほどアイロンが置かれていなかった時代。『巻き髪? アイロンの使い方もわからないのに?』奈良さんは戸惑っていた。プレッシャーを感じながらも、ブラジル人のモデルを使い、ロングのゴージャスな巻き髪をNEW HAIRとして大きく打ち出した。

当時、SHIMAが出したこの前衛的なデザインは、他サロンの美容師にとって、大きな衝撃だったという。

「まわりに『なんかSHIMA迷っちゃったね』と散々言われました。でも、全然迷ってなんかない。間違ってもない。あれは紛れもなく、SHIMAの進化だって確信していました」

嶋さんと奈良さんのタッグが打ち出した巻き髪ロングのNEW HAIRの影響で、流れはガラリと変わっていった。それまで声がかからなかった赤文字系雑誌のヘアページに呼ばれるようになり、雑誌『ViVi』のヘアページにもSHIMAは進出。

当時、ジャンル外だったカテゴリーへ殴り込みを仕掛けた。

「『ViVi』の中で絶対誰にも負けない。一番いいページをとってやる、と意気込んでいました。『これ、マジで会社の命かかってるから、超可愛い子を捕まえて来て。僕も絶対探すから』とアシスタントと一緒に必死になってモデルを探して。本気でしたね」

〝奈良さんは絶対に可愛いモデルを使ってくれるから安心だよね〟

──毎回クオリティの高いモデルで新しいデザインを発信した結果、編集部からの信頼を獲得。徐々にViViモデルたちがSHIMAにも来店し始め、〝SHIMAに行けば、絶対おしゃれな髪型になれる〟──

そんな空気に変わっていった。気づけば、〝SHIMAの奈良裕也〟はヘアページの重鎮になり、瞬く間に『ViVi』でも単独特集が組まれるように。多くの読者から人気を博した。

「ひと握りの人たちが認めるものじゃなくて、ある程度の数の一般の人たちが認める何かをつくらなくちゃいけないと思っていて。そのとき僕自身も負けたくないと思っていたし、ちょうどそのとき自分がやりたい気分ともデザインがマッチしてたんですよね」

嶋さんから受け継いだ〝SHIMAイズム〟を体現し、会社を背負って道を切り拓く。時代の最先端を走り、探求し続けた奈良さんが〝SHIMA 〟で時代を変えた瞬間だった。

結果を持って納得させる 自分だけの〝色〟を持つ

毎年、SHIMAでは「売上・紹介・店販」の3カテゴリーの成績上位のスタイリストを表彰するイベントがある。

奈良さんは26歳で、すべてのタイトルを初めて獲得した。

「初めて三冠を獲ったときは嬉しかった。そのあとも継続して三冠を獲るために、サロンワークを必死に頑張りました。結果を残したら、もう誰も何も言えないだろうと思って」

〝職人〟だからこそ、腕で証明したい──そんな感覚があった。以後4年間、継続して三冠を獲り続け、30歳の年を節目にヘアメイクとしての活動を本格的に始めた。

「今、枠にとらわれず、さまざまな種類の仕事ができてとても幸せです。入社当時の僕からしたら信じられないと思います」  すべて結果で証明してきた。そして、周りが文句のつけようのない唯一無二の〝色〟を出してきた。そんな奈良さんに今、全国の美容師さんへ伝えたいメッセージを聞いた。 「自分だけの個性を出せると強くなると思います。情報が溢れている中でも、何かに突出してトップをとり続けないといけない。やっぱりこの人じゃないとダメという唯一無二の何かがあるといいんじゃないかな」

差が生まれにくい状況だからこそ、唯一無二の差を出すべき。きっと誰かのコピーじゃつまらない美容師のままで終わってしまう。

「自分だけにしかできないことを見つけて走り続ける」

──奈良さんはその背中で大切なことを教えてくれた。

奈良さんから学ぶ継続力

迷ったら初心の気持ちに 立ち返ること
サロンを背負い、 デザインを発信すること
唯一無二の色を持ち、 結果で証明し続けること

奈良裕也(ならゆうや) / SHIMA
Profile
奈良裕也(ならゆうや)

SHIMA

1980年1月9日生まれ。埼玉県出身。国際文化理容美容専門学校卒業後、新卒でSHIMAに入社。SHIMA Harajukuでアートディレクターを務める傍ら、ヘアメイクとして女優やアーティストなどを手がけている。国内外問わず数々の著名人からの支持は厚い。

ボブログ編集部
執筆者
ボブログ編集部

成長し続ける美容師のための髪書房ウェブメディア『ボブログ』。これまでにないスピードで変革する時代に必要な情報【パラダイムシフトの芽】をいち早く見つけ、掘り下げ、新しい常識を提案します。

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