「グリオキシル酸で健康被害」は本当だったのか?薬剤の情報を正しくキャッチする学び方

「グリオキシル酸で健康被害」は本当だったのか?薬剤の情報を正しくキャッチする学び方

211

グリオキシル酸を用いたストレート施術を原因とする急性腎障害リスクを問題提起する、イギリスの週刊総合医学雑誌「ザ ニュー イングランド ジャーナル オブ メディシン(The New England Jornal of Medice以下、NEJM)」2024年3月20日号の症例報告が話題を呼んでいます。
その発表を受け、医療専門サイト「日経メディカル」の2024年4月11日に論文ピックアップとして掲載。美容師や関連メディアの間で注目を浴び、さまざまな憶測や見解が飛び交いました。

グリオキシル酸は危ない? 使うのをやめなければいけない? 不安や戸惑いも頷けますが、顧客に対して薬剤を使ったサービスを提供する「国家資格」の立場として、どう向き合えばいいか。毛髪診断士であり、現場感覚に優れた毛髪科学知識に信頼の厚い前田秀雄さんに、今回の「グリオキシル酸騒動」について聞きました。

毛髪診断士歴29年の
“髪のかかりつけ医”が騒動を分析

前田秀雄 / のりこ美容室 代表
Profile
前田秀雄

のりこ美容室 代表

1965年9月6日、京都府生まれ。京都理容美容専修学校卒業。小さな美容室の「行きつけマーケティング」を追求し、独自の小規模美容室経営を確立。スタッフ5名、1店舗で増収増益を続けている。毛髪診断士および毛髪協会認定講師で、公益社団法人日本毛髪科学協会より令和6年功労賞を受賞。学校法人京理学園評議員。著書に『ちっちゃい美容室のでっかい革命』『美容師のケミ会話』(ともに髪書房刊)がある。

──「グリオキシル酸使うヘアケアに急性腎障害リスク」(日経メディカル)というニュースが業界内で話題を呼んでいます。このことについてどう思われますでしょうか?

前田さん

最新の症例報告があったという記事でしたね。まず、そういった新しい情報にアンテナを張るのは大事だと思います。問題は、その“情報“を得てどうするかを考えることだと思いますね

──具体的には?

前田さん

「グリオキシル酸→急性腎障害になるなんて毒や!!」と、見出しだけ読んで右往左往するのは得策ではないです。当然やけど、まず本文をちゃんと読む。今回の記事は、「症例報告」であることがわかります。学問の世界では、症例1つで「こうや!」と結論が決まることなんかありえません。この症例がなぜ起きたのか、どんな条件で発生したのか、注意点や使用の是非をこれから解明していく段階だという理解が必要やと思います。

──見出しだけ読んで騒動になるというのは、美容業界に限らずよくありますね。

前田さん

そうですね。まずは落ち着いて冷静に読む読解力と、前提に正しい知識を持っていれば起こらないことです。
グリオキシル酸は体内ではエチレングリコールを代謝する際の中間体で、シュウ酸を生成するということはずっと以前から判明していた化学反応です。
今回の問題は「それがなぜ体内に取り込まれてしまったか」ということなんですよね。

「傷まない=安全」とか
「髪質改善」がそもそもアカン!

──そうは言っても、インターネット上では「グリオキシル酸 危険性」「グリオキシル酸 デメリット」とう検索ワードが急上昇しています。こうった不安を抱えるマーケットについてどう考えますか?

前田さん

お客さまが不安に感じるのは当然ですよね。だって、今まで「縮毛矯正と違って傷みませんよ」なんてセールストークされてたんですから。そもそもそれがダメ。中には「髪質改善」なんていうメニュー名で提供するお店も! その時点で毛髪科学的に“ウソ“やと僕は思います

──グリオキシル酸をはじめとした酸性領域+熱処理の方法は、パーマや矯正の従来のメカニズム(シスチン結合の切断と再結合)以外でクセの悩みにアプローチする新しい手段として「髪質改善」とメニュー名に冠するサロンがとても増えました。SNSの検索ワードでも注目を浴びましたね。

前田さん

「髪質改善」という言葉がよくない理由は2つ。まず、「改善」という強い言葉に引っ張られて「ストパーの代わりになる」と飛びついてしまいました。実際は酸化還元反応をしてないんやから、グリオキシル酸をはじめとする酸熱でクセは伸びないんですよ。それをお客さまが期待してしまう罪ですね。

『美容室のケミ会話』(前田秀雄著)より要約抜粋/イラスト:ナカオテッペイ
前田さん

決定的にダメなのは「改善」という言葉。僕、実は消費者庁に質問したんですよ。そうしたら「改善」という言葉で「本質的に変わる」、つまり「治る」という印象を与えるとしたらアウトやということでした。

──確かに。今はダイエット食品などの分野でも「優良誤認表示」と言った広告に効果を言及する規制が厳しくなっています。

前田さん

そうですよね。一方美容業界では、グリオキシル酸を用いたストレートに限らず、ヘッドスパなどの頭皮ケアや育毛、インナービューティなど「悩みの改善」へアプローチしようとするメニューや商材がどんどん増えています。そういうものの広告の仕方やお客さまへの説明の仕方は、より慎重になるべきです。
しっかり勉強もせず、法律やガイドラインをあいまいに「くさいものにはフタ」とばかりに薬機法や広告ガイドラインを無視しては絶対にいけないと思います

「グリオキシル酸」をおさらい!

前田さん

そもそもなんやけど、化学物質にはメリットとリスクがあるんですよ。酸化還元反応によるダメージというデメリットをクリアしつつも、何かほかの弱みはあるはず。「新しい薬剤だ!」と飛びつくのではなくて、“クリティカルシンキング(批判的視点)“で勉強するのが大事だと思います

前田さん

こういう構造式は難しいと思う人が多いけど、グリオキシル酸はもともと南米の捻転毛の人たちが多い文化圏で発祥した、ホルムアルデヒドで伸ばすという方法を応用して、より安全で安定した化学物質として選ばれたんです。
ホルムアルデヒドは揮発性が高くて危ないけど、同じ「アルデヒド(ホルミル基/-CHO)」のパワーを借りて毛髪を整えられないか?と考えられた結果、水溶性のカルボン酸であるグリオキシル酸が使われるようになったんだと思います。
水溶性ということは、適切に塗布して水洗する美容の薬剤としては使いやすいからね

──アルデヒド(ホルミル基)は元々アミノ基と反応しやすいという特性がありますもんね。水溶性で安定ではあるけれども、「どう使っても安全」ということではないと。

前田さん

そうなんですよ。使い方の話で言うと、今回の報告にこんな表現がありましたね

’Kidney Injury and Hair-Straightening Products Containing Glyoxylic Acid‘より

(症例報告中段に登場する26歳のチュニジア人女性の)患者は施術中熱い感覚を覚え、その後頭皮がただれて剥がれるような症状が見られた ──The patient reported a burning sensation during each proce- dure, followed by scalp ulcers

(NEJM誌2024年3月20日号)

前田さん

この証言からわかることも2つあります。1つは、頭皮に熱反応が見られたと言うこと。そして2つ目は何よりも、頭皮で熱反応を感じるとうことは「頭皮にベタ塗りしていたのではないか」ということです。日本の美容師さんのストレート施術において、一般的にそんなことすると思いますか?

──見たことがないですね。

前田さん

海外の美容師さんには、ヘアマニキュアを頭皮にベタ塗りするような例もよく見ます。毛髪自体はタンパク質だけど「死んだ細胞」。一方、頭皮は生きた細胞でタンパク質だから、薬剤を使えば反応するのは当たり前ですよね。毛髪内部に作用するような薬剤だったらなおさら。
ということは、今回最新の症例報告があったグリオキシル酸も当然ですが、ヘアカラーだってパーマだって頭皮につけたら反応しますよ

──なるほど、当該の報告原文にはエビデンスとして引き合いに出しているラットへの実験に対しても「背中に塗布」とありました。

前田さん

症例から経皮吸収(※皮膚を通して成分が体内に吸収されること)を仮説立てて実験してるから、そりゃ皮膚に塗りますよね。でも日本では、薬剤の水に溶けやすい特性を生かして、皮膚には乾燥した状態でベタ塗りせず洗い流すっていう使い方を推奨している
だとすると、この実験と同じ状況になることがあるのかな?と考えることが必要です

──そういった根拠から、前田さんとしては今回の症例報告で直ちにリスクだとは判断しないという立場なのでしょうか。

前田さん

はい、現段階では
とにかくなんでも鵜呑みに、ましてや見出しだけ読んで騒いでるようやったらあかん!
ものすごく頭のいい学者さんが研究していることでも、よく読むとそう言う実際の現場と違うことがあったりします。全てを鵜呑みにしないで「本当かな?」と考えながら読むことが大事ですね。これを“クリティカルシンキング(批判的思考)”といいます
批判とは否定と違って、立ち止まって疑うことです。だから「グリオキシル酸は安全!ニュースはデマや!!」というのではありません。症例は本当なのか? どうやったらリスクが減らせるのか? 立ち止まって考えてみましょう

クリティカルシンキングで築く
深みとコクの独自性

──ちなみに、前田さんはグリオキシル酸配合の薬剤は使っていますか?

前田さん

はい、長いこと使っていますよ。クセを伸ばす目的ではなく毛髪のハリコシが足りなくてうねってしまう人に、日々の手入れがしやすくなるための補助的な役割として提案する感じです

──なるほど。今後もグリオキシル酸配合の薬剤は使用を続けますか?

前田さん

はい。そもそも導入の時点でメーカーさんからの説明をきちんと聞いて質問することが大切だと思っています。そのためにも、独自に成分の特徴やリスクをしっかり調べています。その上で熱によるリスクがあることを踏まえて、使用するときはアイロンの熱処理ではなくブローの風圧で水分を飛ばす処理をしていました。
今回も再検討して、現段階ではこの使用方法なら安全に使用できると判断しています。

──それはまたオリジナリティたっぷりの技術ですね。新しい情報に踊らされず、それでいて最先端の知識にアップデートしていくための心得など、読者のみなさんにメッセージをお願いします!

前田さん

今まで当たり前だと思っていたものを覆す説が飛び出すなんて、科学的にはある種当たり前の話!
そして、その情報そのものは「知識」に過ぎません。知識は誰にでも持てるもの。
その知識をどう使うか考えて絞り出すのが「知恵」。そして、その知恵にたどり着くために積み重ねる経験が「知見」。さらに、たどり着いた知恵を踏まえてどう判断するかが「見識」です。
「グリオキシル酸危ないらしいで」という知識を得て、そういったプロセスを経ずに慌てふためいたり便乗商法に走ったりするのではなくて、「本当かな?」と考えること。国家資格である美容“師“として求められる姿勢だと思います。

ななしま
執筆者
ななしま

直毛一族の末裔。毛髪科学、色彩学、財務が得意です。好きなものは宝塚と蛙亭と世良真純

Prev

Next