かわいいだけじゃない。ブレない芯と明確なビジョンを持つ27歳、今ノリにのっている女性店長がいる。美容学校の教員からハイトーンのブランドサロン〈ONYX〉(オニキス)に入社し、デビューして3カ月で店長に就任したayaさんだ。
2026年1月には、ONYX2店舗目となるONYX harajukuがオープン。本店とharajuku店の統括を務めるayaさんの分岐点と現在地、そして未来図を尋ねた。

美容学校を卒業し、そのまま日本美容専門学校に就職したayaさん。同級生のカラーモデルとしてサロンに呼ばれるたびに悔しい思いが込み上げてきたという。
「美容師として頑張っている同級生がカッコ良く見えて。同級生に負けたくなかったし、環境のせいにしたくない。教員でもできるはず! と思って、放課後に教室でカラーの自主練を始めたんですけれど、何せ知識がない。カラー剤を扱う問屋に通って、店員さんに質問しまくって(笑)。ヘアカラーは知れば知るほどおもしろくて、これを仕事にしたいと強く思いました」

美容学校を辞めた頃、コロナ禍に突入。美容専門誌で見たONYXの記事が目に留まり、KOUSEIさんに直談判。
「カラーを予約してKOUSEIに会いに行ったのですが、なかなか入社の意思を告げられず、帰り間際ギリギリに『ONYXに入りたいです!』って伝えて。きっと即戦力がほしかったと思うんですが、すぐに面接してくれて、美容師歴がない私を雇ってくれたんです。だからこそ、入社してからは必死でした」
通常3〜4年かかるカリキュラムを2年で終わる計画に変更し、デビュー日を2年後に設定。毎朝6〜7時から練習した。美容師になれていない自分が悔しくて、モヤモヤ過ごした経験があったからこそ、ためらう時間も余裕もなく突き進んだ。
「スタイリストデビューしたときに、技術や発信力をどこまで持てるか。同世代の美容師と自分を比べて、今自分がどこにいるかをいつも測っていましたね。少しでも同級生に追いつくために必死だったと思います」

デビューしてから右肩上がりに数字が伸びたのも、デビュー後3カ月で店長に抜擢されたのも、一度決めたことはやり切る強い意志があったから。見た目の雰囲気とは裏腹に、1本筋の通ったブレない軸が見え隠れする。
そんなayaさんのルーツを辿ると、小2から高3まで10年間続けた空手少女時代があった。
「1日3〜4時間の練習を週6日こなす生活をしていました。練習もきついし、毎日メチャクチャ怒られるので、負けず嫌いなのも、根性も、空手で身に付いたものは大きいと思います。どんなにキツくても、何かに挑戦して勝つ。これが昔から好きでした」

「怒られたときって、怒られたことに対して萎縮してしまうことが多いと思うんですが、私はそれを素直に受け止めるタイプ。シンプルに怒られたことが悔しい。自分の良くないところを分析して、絶対直してやるという気概でやっていました」
空手を通して、自身と向き合う時間を持てた学生生活。矢印を自分に向け、元々は弱かったというメンタルが鍛えられた。高校生活が終わりに近づき、空手で大学に行く道も考えた。けれども、この分岐点でayaさんが選んだのは、美容師として生きる道。
思えば、幼少の頃からヘアサロンはayaさんの生活の一部だった。

「両親はともに美容師で、子供の頃からサロンは日常を過ごす場所でした。小学校から帰ると、父が経営するヘアサロンで宿題をやり、お客さまと話したり。美容師さんがみんなキラキラ働いていて、私は指にロッドを付けた怪獣ポーズでパーマのヘルプをしたり(笑)、それが楽しかった記憶がありました」
顧客にとって「嬉しいことはなに?」をいつも考えて行動するayaさんの原点は、幼少期の記憶に残る“常連さんたちの嬉しそうな笑顔”にある。

髪飾りブランド「.fu」を立ち上げたのも、関わっている人たちに喜んでもらいたいという思いから。女の子にとって大切な日を最高な1日にするためにスタートした。
「レンタルも素敵なんですけど、式典は一生に一度。女の子たちは会場の誰よりもかわいくいたいと思って、みんな何週間も前からメンテナンスするんです。一生に一度の日、顔に近い部分を飾るヘアアクセサリーの役割は大きいですよね」
最初は材料を集めて顧客向けのギフトにしていたが、代表のKOUSEIさんに相談して、ブライダルや着物の髪飾りの販売を始めた。
「ブーケを崩してつくったり、ドレスや着物のイメージを聞いて、問屋に行きます。やり始めるとこだわりたくなっちゃうので、材料を探すところからですね」
「収入を上げるためにやっているわけではないので、万人受けをつくるヘアアクセは大手ブランドや着物屋さんがやればよいと思うんです。世の中みんながかわいいと思うものではなく、私は1人ひとりの『これやりたい』を忠実に叶えたい」
お客さまの“好き”を詰め込み、自己肯定が上がる提案は、まさにayaさんのサロンワークにも通じる。10代後半〜20代の女性顧客が多いため、友達同士の会話のような、テンポ良いカウンセリングで要望や悩みを引き出す。
「私自身、美容師さんが素敵すぎると、緊張してやりたいヘアスタイルや色を言えなかった経験もありました。もっとラフに、本当にやりたいことを話せる環境づくりをしていきたいですね」

ayaさんのInstagramより。親しみやすさがキーワード。

月平均200万円〜繁忙月300万円の売上と新規リピート率60%を超える支持率の秘密は、体温の伝わるSNS発信にある。
「ヘアスタイルの提案だけだと、人柄が伝わらないので、人の奥行きが伝わる投稿を定期的に発信しています。うちのサロンは、アイデアが出た新しいコンテンツをみんな積極的に取り組む文化があります。代表のKOUSEIが発信するコンテンツや、編集方法、ハッシュタグ、投稿時間などを参考に、スタイリストもアシスタントも全員参加でSNSブランディングに力を入れていますね」

サロン公式のInstagramやTikTokは可能な限り毎日配信が目標。「オニキスTikTok課」の課長も兼任するayaさんは、スケジュール組み・構成出し・撮影や編集も行う。
人前で話すのが得意ではなかったというayaさんも、YouTubeやTikTokを通して、伝えたいことの要点を絞って伝える習慣が身に付き、話したいことがスッと言えるようになったという。
「言葉にすることで、普段頑張っていることが少しずつ明確になってきます。ネタは友人にヒヤリングもしますが、ベースは“女の子が楽しめること”。編集作業が大変なこともあるけれど、原動力は決めたことはやろうという気持ち。集客よりも、やり切ることが大事だと今は思っています」


ayaさんには夢がある。ONYXをもっと店舗展開させたい。スタッフを増やしたい。自分の夢は、ヘアショーやセミナーなどの外部活動を増やすことだという。
「髪って何年もかかって伸ばすもの。女性にとってすごく大切なものだし、失敗されたらめちゃくちゃ萎える。そういう思いを女性たちにしてほしくないから、どのお客さまがどこのサロンに行ってもよかったと思ってもらえるためにセミナー活動をやりたいと考えています。私も、全国の美容師さんも、ともに教え合って技量を上げていけたら、日本の女性はもっとハッピーになれると思います」

「私にとって一番の分岐点はKOUSEIとの出会い。外部から見るとクールな印象を持つ方も多いKOUSEIですが、誰よりも人に対して愛がある。人としてどう生きるか、という部分をデビューまでの2年間で教わりました。KOUSEIに家族のように思ってもらっていたので、私も後輩達にそうしていきたいと思っています」
損をしないために直した方が良いところ、変わるべきマインドをKOUSEIさんから多く教えてもらったという。
1カ月後、新店舗がオープンする。
「これまでKOUSEIがブランドを引っ張って、私なりに組織の中を固めてきました。KOUSEIがいない新店舗、私がいない本店。新店舗ができて、来年は今までやってきたことが試されるときです」

「私は、夢は持つべきで絶対口に出したほうがいいと思っているんです。ただ言うだけじゃ何の意味もないけど、口に出した分、真剣に向き合う。自分に足りないものは何かを書き出して、1つひとつ潰していく。どんなに忙しい日々でも、自分を奮い立たせて毎日エンジンをかけ直すことで、必ず夢に近づけると思っています」
