「描く」と「染める」を行き来する、岩下祐美の頭の中

「描く」と「染める」を行き来する、岩下祐美の頭の中

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photo_近藤沙菜

「絵は深く考えず、思うままに描く。そうすることで自然と色が頭に記憶されていって、趣味と仕事とをつないでくれます。」

そう話すのは〈ROUN〉の岩下祐美さん。ニュアンスカラーを得意とする美容師であり、アクリル絵の具で抽象画を描くアーティストでもある。色を染める手と、色を描く手。ふたつの表現を行き来する彼女に惹かれて、長く通うお客も少なくない。

この日訪ねたのは、自宅兼アトリエ。彼女が色と向き合う瞬間を、すぐそばで見せてもらった。

岩下祐美 いわした・ゆうみ
福岡県出身で、大村美容ファッション専門学校卒業。都内1店舗を経て、2022年に〈ROUN〉(ラウン)に入社。美容師歴は8年目に入り、自身で描いたアクリル画で個展を開くなど、アーティストとしても活動している。

部屋には、その人の個性が色濃くにじむ。岩下さんの部屋は雑多で自由なのに、不思議と落ち着く。窓辺の観葉植物やギター、壁にかかった小さなアートがひとつの景色としてまとまっている。

「家は生活の場でありながら、作品をつくる場所。とにかく没頭したい。自分の感覚で選んだ物が揃っているから、すべてがインスピレーション源になんです」

カーテンやヴィンテージの家具。ひとつひとつが“色”を宿していて、ここで彼女は日々アイデアを蓄えている。生き生きと葉を伸ばす観葉植物のそばで、小物や置物をひとつずつ眺める。旅行先の記憶、好きなアーティストの気配。そのすべてに自分で語れるくらいのこだわりが宿っている。

感性を刺激するアイデアの源は、本棚にもある。岩下さんには、美術館へ訪れたときのマイルールがある。それは作品集を買うこと。そして家に帰ってから、筆を手に取る。

「あの絵が良かったなと思ったら、まず描いてみる。見るだけなら美しいけど、実際に描くと自分に合うかどうかが分かる。それが作品の方向性を探るきっかけになるんです」

「2〜3年前に見に行った”カラーフィールド 色の海を泳ぐ”は特に印象に残っています。大きなキャンバス一面を使った抽象絵画の展示で、色が重なる“にじみ”から広がっていく美しさに惹かれたんです。

それまで私は、意図的に色を混ぜてはっきりとした色味を出していたんです。でも、その展示で見た淡さとか、境目が曖昧な色の重なりに、すごく心を動かされて。新しく取り入れてみたいと思いました」

これまでの作品並べてみると、似ているようでどれも違う。けれど共通してるのは、必ず3色以上を重ねていることだった。

以前勤めていたサロンでは、施術後の髪色と画用紙を並べてインスタに投稿していた。髪と絵が同じフレームに収まるその実験的な発信が、お客の心に刺さった。芸術系の学生やアート活動をしている人からの予約が増えていったという。

「本格的に始めたのは〈ROUN〉に入った3年前からです。キャンバスに向かって制作するようになって、年に1度は個展を開くようになりました。絵と向き合う時間が増えたことで、表現の幅も広がった気がします」


最近はキャンバスに糸を通し、表面に凹凸を生むことで立体感を試している。古着のデニムにはモチーフを決めず、感覚のままに線や色を重ねていく。

「描いているときは集中しているので、他のことは考えてないです。でも、カラーをしていると“あの時の絵の具の感じ、良かったな”と記憶がつながって、役立つことが多いですね」

岩下さんの強みは、再現不可能なニュアンスカラーにある。描いて塗って重ねてきた分だけ、頭のなかには無数のカラーパターンがストックされている。ワンカラーであっても最低5色以上を混ぜ合わせ、絶妙なくすみを生み出す。もっとも、その強みも最初から自覚していたわけではない。

「自分が好きなのは“色”だから、パレットみたいに複雑にしてみようと思って。当時のお客さまの反応が良かったので、そこから今のスタイルにつながったんです」

20種類以上の絵の具から、迷うことなく5色を選びキャンバスにのせる。決めるまでの速さに驚かされる。

「話し方はゆっくりなんですが、根はせっかち。描いているときは直感を優先しているので、いちばん素直になれている瞬間かもしれませんね」

ただ、キャンバスに向き合うのは久しぶりだという。去年の秋から年末にかけて仕事が立て込み、そこから描くリズムをつかめなくなっていた。

「この一年は充電期間として過ごしました。バリ島に旅行したり、家具を集めたり。新しい情報を取り入れることに時間を使っていたんです」

塗って、色を足して、広げていく。あっという間にキャンパスが埋まっていった。

久しぶりに描くそうなので、今回のテーマは筆者が考えた「ヨーロッパの街並み」。街や人の色を彼女がどう感じ取り、どう落とし込むのかを見てみたかった。

「テーマを聞いて最初に浮かんだのは、レンガ造りの建物で土っぽい感じですね。それと、冬が長く夏が短いヨーロッパでは、限られた夏を全力で楽しむ文化がある。だから海の水色と、陽気な空気感をイメージしてオレンジを選びました」

普段は寒色系が多く、暖色系の作品はほぼ初めてなのだとか

美容師としてのサロンワークと、アーティストとしての創作活動。日常の音や光、出会う景色のすべてが頭の中で重なり合い、彼女の感性を通して色として立ち上がる。それは髪にも絵にも広がっていく。

「絵を描くことで、色のパターンを目で見て体感しているので、ほんの微差の違いに敏感になれるんです。絵の具とカラー剤はもちろん違うけど、やってみた後に点と点がつながって線になる。時間をかけるほどに、この色彩感覚は積み重なって、表現の幅も広がっていくと思います」

ozawa
執筆者
ozawa

大阪府出身。大阪文化服装学院スタイリスト学科を卒業し、大阪モード学園美容学科通信コ―スで美容師免許を取得。

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