ビールをつくる“街の溜まり場”が、カルチャーを耕す場所になる。〈TAMA tsumuji WERKS.〉

ビールをつくる“街の溜まり場”が、カルチャーを耕す場所になる。〈TAMA tsumuji WERKS.〉

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Photo_近藤沙菜
Illust_藤原ヒラメ

クラフトビールと聞くと、どこか“地元の顔”みたいなところがある。目立った看板も出してないのに近所の人たちがふらっと集まって、気がつけばそこが街の止まり木のようになっている。

多摩市・京王永山駅から歩いて10分。住宅街のマンション1階にある〈TAMA tsumuji WERKS.〉(タマツムジワークス)は、カフェとビールの醸造所をワンフロアに併設した、珍しいスタイルの複合サロンだ。

髪を切りに来た人がクラフトビールを飲んで帰ったり、カフェに訪れた人がふと髪を切っていく。そんな行き来で溢れているのかと思いきや、返ってきたのは意外な答えだった。

「それぞれ目的を持った人が、それぞれのカテゴリーに行くケースが多いんです。だから意外と混ざらない。相乗効果を狙って始めるなら、おすすめはしないです」

そう語るのは、オーナーの市川 格さんとスタイリストのaoiさん夫妻。サロン集客や動線の話でないとすれば、なぜあえてこの形を続けるのか。話を聞いてきた。

市川 格(いちかわ・かく)/アメリカ・ニューヨーク生まれ。多摩市で育ち、数店舗を経て28歳で理容にも挑戦。ダブルライセンスを取得し2015年に妻のaoiさんとともに〈TAMA tsumuji WERKS.〉をオープン。17年にはカフェ〈PARLOR〉を併設。23年からビールづくりを始め、翌年に醸造設備を設けサロンをリニューアル。ビールブランド〈Bierernst〉を立ち上げ、理容師としてサロンワークの傍らビールづくりも行う。

aoi(あおい)/群馬県・草津町生まれ。地元に高校がなく、進学を機に上京。美容専門学校を卒業後、表参道のブランドサロンに入社。アパレル業界での経験も経て、現在は〈TAMA tsumuji WERKS.〉のスタイリストを務める。二児の母。
 

「やりたいことをやっている感覚に近くて、人が集まる“溜まり場”を作りたかったんです」

そう語る市川さんがサロンを立ち上げたのは2015年。もともと広めに借りて、後から要素をたしていくつもりで探していた物件は、散歩中に偶然出会ったそう。60坪(約200㎡)という広々した空間で、オープン当初は2人でサロンを営んでいた。

その2年後、バックルームを改装して併設したのがカフェ〈PARLOR〉(パーラー)。はじまりは、サロンで提供するサービスドリンクだったという。

「家庭用でもハイエンドなエスプレッソマシーンを買って、幡ヶ谷の「パドラーズコーヒー(PADDLERS COFFEE)」というコーヒー屋さんの豆でラテを出してたんですけど、それがもう楽しくて。次はカフェそのもをつくりたくなってきたんですよ」(市川さん)

やがてカフェではクラフトビールの提供も始まり、サロン顧客でもあった奥多摩にあるブルワリー「VEERTERE(バテレ)」の存在をきっかけに自身でつくることを決意。酒造免許の取得に8か月、設備導入に700万以上をかけ4基のタンクを備えた醸造所〈Bierernst〉(ビアエンスト)をつくった。

「最初は手前にサロンがあって奥がカフェという構成だったんですが、醸造所を入れるために大幅にリフォームして逆の位置に。空間の間取りから、壁を立て、塗って、窓も自分たちで取り付けました。インテリアだけデザイナーさんに作ってもらって今の形になったんです」(市川さん)

カフェもビールも、ビジネスの一手ではなく「やってみたい」という気持ちから始まったもの。醸造所のタンクも代理店を挟まずに中国のメーカーと直接交渉。市川さんは「もう二度とやりたくないほど大変だった」と笑うけれど、そのDIY精神こそが “空間も体験も自分たちの手でつくる” 原動力になっている。

カフェ〈PARLOR〉に訪れた人がそのまま髪を切っていったり、サロン帰りにビールを楽しんだり。そんな過ごし方もあるけれど、あくまでそれは選択肢のひとつ。ここでは誘導を促すPOPや案内はあえて置かず、複合業態だからこそのお得さや、使い勝手のよさを押しつけることはしない。

それでも不思議と、この場所には人が集まってくる。カフェとビールは自然と地域の店や人とのつながりを生み、今では月に1〜2回のペースでイベントを開催している。フードやアートとも定期的にコラボレーションし、さまざまな人がここを目的地として訪れる。

「“ツムジに行けば、なんか面白いことがあるんじゃないか”って、そんな感覚で来てくれる人が多いような気がしていて。この場所自体が誰かの目的になっている感覚があります」 (aoiさん)

ただし、夜になるとその空気はまた少し変わる。〈PARLOR〉は18時で閉店し、バー営業などは行なっていない。サロンが終わる20時までは静かな時間が流れる。

夜のサロンってどこか落ち着いていて、賑やかじゃないんです。その穏やかなトーンを守りたくて、軸足はあくまでヘアサロンに置いています。バーをやると賑やかになるし、僕は働き手としてその両方の感覚がわかるからこそ無理はしない。やりたいことをやるにはメインをちゃんとやらないといけないですからね」(市川さん)

理美容はこの場所の出発点であり、自由の根拠にもなっている。だからこそ「この先どう発展してもサロンワークというベースは変わらない」と2人は口をそろえる。

aoiさんが〈TAMA tsumuji WERKS.〉のオープンとともに多摩市に移り住んだのは10年前。それまではターミナル都市である町田で多くの顧客を抱えていた。ほかの土地から移ってきたからこそ、多摩という街の手触りが鮮明に映ったという。

「ここは多摩ニュータウンの開発から生まれてまだ50年くらいの街。都営住宅が多く、小さな商店街が点在していて、手に職を持つ人がたくさんいるんです。それを生業にしていたり、趣味の延長でおもしろいことをしていたり。ちっちゃい街だけど、そうしたカルチャーの芽が豊かな街だと思います」(aoiさん)

※多摩ニュータウン…1960年代から開発が進められた、日本最大級のニュータウン。多摩市など複数の自治体にまたがり、道路や商業施設などが計画的に整えられている。

aoiさんの顧客層は、30〜40代の女性が中心。店舗のスタッフは全員で4名。ライフステージに応じて出勤日数もそれぞれで、肩書きや役職もないフラットな関係で成り立っている。こう聞くとゆるりとした雰囲気に見えるかもしれないが、ピーク時には予約が3カ月先まで埋まり育児や家のこともままならない時期もあった。

「今は既存のお客さまだけでやらせていただいていて、『顧客と美容師』という言葉だけじゃ表せない関係がたくさんあるんです。若い頃は職人肌に憧れがあったんですけど、今はサロンを通して街を循環させたいという気持ちが強い。10年経って“自分がどうこう”というより、この場所そのものの価値が育ってきたように感じています」(aoiさん)

“ひとりの美容師”ではなく、自分たちがこの場所を通じて街のハブとなっている。そんな意識が芽生えてきたとaoiさんは語る。スタッフや顧客、地域との関係が少しずつ育ち、そのつながりがこの街のカルチャーを少しずつ耕している。

地元だったから自然と多摩にサロンを構えた。「オープン当初は、都心じゃなくてもこんなイカしたことやってるんだぜっていう野心はあったんです」と市川さんは振り返る。都心ではないということに、どこかコンプレックスも抱いていたという。

入口。扉の先に〈PARLOR〉と醸造所がある。

「でも今は、場所とかもう関係ないと思っていて。それぞれが意味のある場所で、やりたいことをやってる。それが一番かっこいいなと思うんです。店舗展開や新しいチャレンジよりも、この場所をもっと濃くしていきたい。街のフルーツでビールをつくったり、地域ともっと太くつながっていくつもりです。期待してくれているぶん、ちゃんと応えたい」(市川さん)

サロンを軸にカフェやビール、イベントやアートが自然につながっていく。クラフトビールが街の顔になるように、ヘアサロンという存在もまた、都市と生活のあいだにそっと置かれるラストピースになっていくのかもしれない。


特集「TOKYO LOCAL」

木村 麗音
執筆者
木村 麗音

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