
東 成実 (ひがし なるみ) 佐賀県出身のデザイナー。2020年から昔ながらの床屋に通い始める。23年の夏、突如中国語の魅力に惹かれ、その勢いのままワーキングホリデービザで翌年8月から台湾に住んでいる。
私の床屋通いはこうして始まった
床屋に通い始めて早4年が経つ。
「地名 美容室」で検索すれば無限のおすすめが流れてくる、この便利な情報社会に逆らうようにして私の床屋通いは始まった。
街を歩けば一見カフェかと間違うようなお洒落で雰囲気のいい美容室がたくさんある。けどふと目をこらすと誰も気づかないような場所にひっそりと佇む昔ながらの理容室・美容室も紛れている。元々古い建物が好きだった私はそんな理容室・美容室を見つけては、どこに共有するわけでもなくただ写真を撮っていた。
ある日ふと「こんな場所で髪を切ったらどうなるんだろう」という好奇心が生まれた。
そして、人生で一度も足を踏み入れたことのない「理容室」はさらに気になる。あの店先にあるトリコロールカラーのサインポールに惹かれるのは、子供の頃も今でも変わらない。

実際に足を踏み入れた床屋の世界は驚きの連続だった。
男性のカットがメインなので、そもそも女性である私が門前払いを喰らうことは日常茶飯事であること。
ハサミの種類や使い方が美容師の方法とは違うと、素人目にもわかること。
シャンプーはうつ伏せで行うため、顔までびしょ濡れになる(つまり化粧が全部落ちる)こと。
シェービングフォームの独特の付け心地に、たまに街ですれ違うおじさんの匂いの正体であるヘアトニック。
顔まで全部温かいタオルで拭いてもらった後、こんなにも「さっぱりした」という気持ちになれること。
門前払いを喰らう原因が「女性の髪型」というのなら私の方から理容室に合わせた髪型にすればいいじゃないかと対抗心のようなものが沸き、床屋に行きたいがために坊主にし始めたりと、もはや髪を切る本来の目的から脱線した私の好奇心はこうして白熱させられ、段々と床屋に行くことが日常になっていった。

新たな住処台湾にて
それは台湾に住み始めてからも変わらない。
昨年8月から台湾・台北で暮らしている。新たな環境で出くわすのは「髪をどこで切るか」という悩みだ。さらに海外での場所探しはさらにハードルが上がる。
住み始めたばかりの頃、知り合いの日本人数人に髪はどうしているか聞いたところ「住み始めてから一度も切っていない」「日本に帰った時に切っている」という人さえいた。
坊主はやめていたものの相変わらずベリーショートだった私は、来て1ヶ月ほどでだらしなく伸びてきた髪に鬱陶しさを感じ、流石にそろそろ切らないとと焦る気持ちだけが募り、縦横無尽に美容室を検索しまくっては優秀なAIによってインスタの広告が全て台北の美容室になっていった。
そんな中、近所を散歩していた時に見つけたのがやはり「昔ながらのお店」だった。
中国語は勉強しているとはいえまだまだの私が、思い通りに髪型のイメージを伝えるのも難しい。ならば全てをお任せしてみたら面白いのではないか。
そんな直感と好奇心から足を踏み入れ、「短く」とだけ伝えお任せで切ってもらうようになった。

中山・赤峰街の小さな床屋で
台湾に来て3回目となる散髪。今回は小さなカフェや服屋、雑貨屋などが集まるお洒落なエリア、台北の若者だけでなく外国人にも人気の中山・赤峰街にある理容室を訪ねた。

私の床屋選びは100%外観で決まる。「見た目がかわいい」「パンチが効いている」「なんかやばい」、GoogleMapを見ずに直感でお店の扉を開ける時、いつも少しの緊張を伴う。情報社会の影響を受けていると実感する瞬間だ。
パステルカラーのパープルというかわいい色の外壁とは裏腹に、窓ガラスには驚きの低価格が並び、さらに手書きの「家庭理髮」の看板が掛けられているアンバランスさ。
カット台が2つと、見た感じシャンプー台はどこにあるのかわからないこぢんまりとした店構えは、小さなお店がひしめき合う赤峰街の一角であることを思い知らされる。

中に入るとまず台湾語で話しかけられた。(台湾は中国語の他に台湾語(閩南語がベースとなっている言語)、客家語、原住民語など実は様々な言語がある。)
台湾語が全然わからない私がきょとんとしていると、中国語で「カット?ここに座って」と言い直し、年季の入ったソファを指され案内された。
お店を仕切る理容師さんはスパイラルパーマに赤髪の、かっこよくて気の強そうなおばさん。
お店に入った時、小さな男の子が髪を切られていた。側ではお母さんが付きっきりでスマホで動画を見せている。子供をおとなしくさせる方法も時代とともに変化する。
お母さんと理容師さんは台湾語で会話を続け、男の子には中国語で「ほら!いい子だから!動かないで!」「ほ〜らカッコよくなった!」と話しかける。
切り終えた男の子の髪はさっぱりとカッコよくなっていた。
男の子が降りた椅子からお風呂用のスツールが取り出された。なるほどこういう親子連れのお客さんも多いんだなと気付かされる光景だ。
台湾人は「使えるものは取っておく」精神なのか、全体的にどこに行っても物が多い。
けどこの理容室は生活感が混じりつつも、綺麗に隅々まで手入れされているのが伝わってくる。




そうしてお店を観察しているうちに私の番がきた。
「とにかく短くしたい、あとはお任せで」と伝えた。今までもそうだがお任せでと伝えると理容師さんは一切の迷いなしに切り始めるのでとても清々しい。
ところで、台湾に来てから度々理容室に行っているがまだ断られたことがない。日本では「女性の髪はできません」と断られることもしばしばだったが、もしかしたら台湾は日本よりも理容室/美容室の境界が曖昧なのかもしれない。
「理容師のお仕事はどのくらいになられるんですか」と聞くと、「60年、中学を卒業してすぐ働き始めたからね!」と誇らしい笑顔で答えてくれた。
「60年?!」と驚いていると次から次にお客さんがやってきて、3人がけのソファはすぐにぎゅうぎゅうに埋まった。
世間話をゆっくり楽しむ間もなく綺麗な手捌きであっという間に仕上がった。忙しくて髪を切りに行く時間がなく4ヶ月ほど放置されていた髪は、髪型を変えるというよりも整えるという方に近い仕上がりだった。
「ほらどう?見てみ」と言われ、私としては短さが足りなかったので「もみあげ、前髪ももっと短くして欲しいです」と伝えると、ええ?というような表情で理容師さんは私の言うとおりまた切り始めた。
「短く、もっと短くお願いします」と数回言うと「もうこんなに短いのに一体どこを切るの!今が可愛いでしょうが!」と軽く怒られてしまった。「私が言ってる意味わかる?女の子はこれぐらいが一番いいの!」と軽く説教を喰らいながら、理容師さんは私の伸びていた髪の雰囲気を活かしてくれたんだろうなと理解した。
お客さんよりもお店の人が強い、それは理容室に限らず台湾のあらゆるところで実感する。
この軽い説教もおもしろいなと「はい、その通りです、わかりました」と返事をする。理容師さんは私の「お任せ」と言ったのに本当のお任せではなかったオーダーに応え、綺麗に整えてくれた。

ソファに座っていたお客さんは皆常連さんのようで、私の髪を切りながら台湾語での会話が繰り広げられていた。
「ほら綺麗になったでしょ」と言われお会計をする。「領収書ってありますか?」と聞くと「領収書?ないよそんなもん!!」とまた軽く怒られた。
カット200元(日本円約900円)のお店はただ商売としての理容室ではなく、まるで地元の人たちのコミュニティスペースのようだった。
こぢんまりとしたお店にひっきりなしにやってくるお客さん、台北では聞く機会が決して多くない台湾語の会話。
怒られながらの散髪も、またお節介のようなあたたかな心地があった。
最後に笑顔で「謝謝,Thank You」と挨拶をされ、店を後にした。
理容師さんは特に私が外国人であることを話題にはしなかったけど、この最後の「Thank You」で心遣いを感じた。
暖かいを通り越し既に暑くなり始めている台北、短くなった襟足に通る風が心地いい。
通りはいつも若者で溢れるこの赤峰街の中に、昔ながらの人情味溢れる空間を見た時間だった。

