大谷翔平も手掛ける、メンズヘアグルーミングのゴッドマザーを知っているか

大谷翔平も手掛ける、メンズヘアグルーミングのゴッドマザーを知っているか

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メジャーリーグで大活躍する大谷翔平選手。彼が入団会見前にカットに訪ねたと、ひときわ注目を集めた人物がいた。
66歳のカリスマ理容師ミラ・チャイ・ハイド氏だ。
今回は、ミラに独占インタビューを行い、理容師としての哲学、そして「神の手」と呼ばれるカット技術について語ってもらった。

文 : スミスさやか
写真提供 : ミラ・チャイ・ハイド

ミラ・チャイ・ハイド

ミラのガレージ。現代のミニマルサロンとは対照的な、自由と奔放さ溢れる静かな聖域。そこでは会話を聞く人は誰もおらず、ただリラックスすることができる。

 ミラはロサンゼルス自宅のガレージ、掃除道具や庭仕事道具、日用用品がぎっしりの物置小屋の一角に、一台のバーバー椅子と化粧台を置き、一人でバーバーショップを営んでいる。

 彼女はこの小さな空間で、オースティン・バトラー、スティーヴン・ユァン、シム・リウ、ペドロ・パスカルなどの有名俳優、その他大勢のハリウッド大物セレブリティー達のヘアをカットしてきた。そして、自宅から出れば、広告キャンペーン、レッドカーペット、ファッション撮影などで、古くはデヴィッド・ボウイ、モハメッド・アリ、ヒュー・グラント、最近では大谷翔平のヘアをも手がけてきた。まさにスーパースターが認めるスーパー理容師なのだ。

オースティン・バトラー(俳優)

転機は30歳。サスーンで美容を学ぶ

 フィリピン生まれで、韓国、ポーランド、ロシアの血を引くミラの理容人生はロンドンで始まる。アメリカで11年間続けてきた秘書の仕事を辞め、1988年1月、30歳の誕生日を迎えた翌日に英国へ渡り、ロンドン、ヴィダルサスーンのディプロマコースで9ヶ月美容を学ぶ。

 「ニューヘイブンでも、遊びで友達や上司の髪を切っていて評判が良かったの。元々、クリエイティブ、かつ稼げる仕事を求めていたので、私に向いている仕事はヘアドレッサーだと思った」とミラ。

 ディプロマ終了後にサスーンで働きたくて面接に行くと、「美容師は足りている。理容師であれば採用する」と言われ、必然的に理容の道を選ぶ事となった。ミラが当時を振り返る。

 「トレーニング期間中は、毎週15人のカットモデルを自力で探してくるのよ! そして、2度のテストに合格して、初めて技術者と認められるの。トレーナーは厳しく、とにかく辛かった」。

ミラのハイライト

 しかし、この厳しい環境での修行とサロンワークで得た理容技術無くして、今のミラは存在しない。

 「サスーン時代に比べれば、技術面もルーズにはなっている。でも、カットの基本はサスーン時代のまま、レザー、セニング、バリカンは使わない。どんな刈り上げでも、使うのはシザーとコームのみ。でなければ、骨格の歪みや凹みの微調整はできないもの」。このこだわりこそ、セレブに信頼される鍵なのだ。

ヒュー・グラント(俳優)。ロンドンで当時、センターパートだったヒューのプレッピーヘアを、爽やかなショートにイメージチェンジしたのもミラだ。


 オンとオフのある俳優は、仕事ではキャラクターに合わせたヘアスタイルが必要だが、オフで遊びにいく時にはスタイリングを変えて自分らしさを出したい。だからアレンジの幅が広いスタイルが求められる。

 「私はカット後に必ずドライヤーの風を当てて、360度どの方向から見ても似合っているスタイルであることを確認している。いつもどこかで見られている有名人たちは、どんな時でも、どこにいても素敵じゃなくちゃいけない。そして彼らは、私にそれが可能であることを実感しているからこそ、信頼が築かれるのだと思うわ」と語るミラ。

ペドロ・パスカル(俳優)

 ロンドン時代も、多くの俳優、ミュージシャン、デザイナーなどのヘアを自宅で切っていたというミラは理容店を開こうと思ったことはないと言う。

 「ヘアメイクの仕事もするから、お店を持っても出張ばかりで面倒なだけ。私はアシスタントも使わないから、自宅やガレージでは私とクライアント以外、誰も見ている者はいない。だから、セレブ達もリラックスできるのだと思う。今のガレージには、洗面台すらないから髪も洗えないのよ! それでもスターが文句も言わずに来てくれるのは、私の技術と、このプライベートの空間の心地良さじゃないかしら」。

故アレキサンダー・マックイーン
との出会い

アレキサンダー・マックイーン(ファッションデザイナー)

 1991年にサスーンを退社し、雑誌のヘアメイクの道へ進んだミラ。「当時は、メンズモデル達は自分でヘアメイクをしていたの。チャンスだと思ったから、自力でメイクを勉強し、ヘアカット、スタイリング、メイク全てをカバーしたメンズのセッションスタイリストになった」。

Alexander McQueen『The Hunger(ハンガー)』1996年春夏コレクション

 そして、ロンドン東部にあるホクストン・スクエアに住んでいる時に、下の階に住んでいた、故アレキサンダー・マックイーンと出会う。コレクションの準備で自分のアパートがテーブルでいっぱいになり、寝る場所がなくなったマックイーンがミラとハウスシェアを始め、それから二人は親友になった。

 「私がリー(マックイーンのあだ名)に映画『ハンガー』を見せたの。それに影響を受けてできたのが、1996年春夏のハンガーコレクションよ。私も、雑誌のヘアメイクはやってきたけど、ファッションショーはこのコレクションが初めてだった」。

 その後、マックイーン以外のデザイナーからも声がかかるようになり、ミラの名前が世界へと広がっていく。クリエイティブ時代のミラのトレードマークとも言える作品は、マックイーンの1997年春夏コレクションでの『ポニーテール×リーゼント』と、彼女が発案、命名したミンキーと言う友人のカット『Fauxhawk(フォークホーク)』。

大谷翔平のカットは
『モダンなシェイプ』がポイント

大谷翔平(プロ野球選手)

 昨年、野球選手の大谷翔平氏とミラの写真が話題になったが、これはある会社のキャンペーンでカメラマンからミラに直接依頼があったという。

「ガレージではなく、別の場所でカットしたのだけれど、施術中、数えきれないほどの関係者に囲まれて驚いた。撮影が終わって、帰る直前に戻ってきて強くハグしてくれたから、きっとカットを気に入ってもらえたんだと思うわ」と語るミラ。「アジア人の髪は長さの設定がポイント。アジア人の骨格を熟知していなければ、似合ったデザインを創るのは難しい。翔平さんのカットは、モダンなシェイプがポイントかな」と続けた。

 最近のメンズカットは、バリカンでバックとサイドを刈り上げ、トップに長さを残すフェードスタイルが主流だ。ミラは言う。「バリカンのフェード技術は、私には真似できないし、素晴らしいと思う。でも、今後のメンズグルーミングの進展のためには、レパートリーが必要だとも思う。カット技術を磨き、新しいスタイルを提供していかないとね」。

ブランドでチャリティーを立ち上げたい

写真は『スカフポーション No1(スタイリングクリーム)』House of Skuff:houseofskuff.com

 ミラは現在、House of Skuff(ハウス オブ スカフ)というブランド名で、5種類のヘアケア製品を販売しており、一つの商品につき1ドルを、犬の保護団体と、児童虐待保護団体に寄付している。将来はこのブランドの力でチャリティーを立ち上げる。これが今のミラの夢だ。

 「軽いのにホールド力に優れ、ベタつかない。日本人の髪にも絶対に合うから、使ってみて欲しい」と笑顔で語るミラ。『セレブでテスト済み、動物テスト無し』、こんな洒落たキャッチフレーズを使えるブランドを持つ理容師は、ミラ・チャイ・ハイド氏の他には存在しないだろう。


ミラ・チャイ・ハイド /
Profile
ミラ・チャイ・ハイド

フィリピン生まれ。14歳の時に里子としてロサンゼルスに渡り、高校卒業後サンフランシスコ、ニューヘイブンで秘書を務め、30歳の時に美容師を目指して英国へ渡る。ロンドンのヴィダルサスーンで美容を学んだ後、バーバーとしてサスーンへ入社。1年以内にロンドンのメンズヘアドレッサー・オブ・ザ・イヤーを受賞。1991年に退社して、メンズヘアメイクアーティストの第一人者となる。アレキサンダー・マックイーンをはじめ、様々なファッションショー、キャンペーン、雑誌撮影などで活躍。その間もロンドンの自宅でクライアントのカットを続ける。2005年にロサンゼルスに戻り、ヘアメイクの仕事も続けつつ、自宅のガレージにカット椅子を設置し、一般客、セレブ客のカットを続けている。House of Skuffというブランド名でサスティナブルなメンズヘアスタイリング商品を展開中。

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執筆者
スミスさやか

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