
コンテストで磨き続けた技術とセンス。デザインカラーの第一人者・朝日美月祈
「レイヤー」「デザインカラー」「白髪ぼかし」etc…
いまや定番となった技術やスタイルも、その可能性に挑み続け、象徴的な存在となった女性たちがいる。
何を考え、どう選び、どんな未来を描いているのか?テクニック、マインド、これからの話まで、彼女たちの歩みと視点を深掘りする連載第3回。
photo_橋本美花
唯一無二の配色バランスと、柔らかなカットライン。彼女のデザインは、コンテストを志す者はもちろん、審査する者、多くの美容師、お客までもを惹きつける。
東京の店舗オープン後、初めて挑戦したコンテストは決勝まで進んだが優勝を逃した。リベンジを誓った2回目のコンテストはあえなく敗退。満を持して臨んだ3回目で悲願のグランプリを受賞した。この時「ほっとした」と語る彼女が見ていた世界とは、また今見えている景色について話を聞いた。

何かで結果を残さなければ!
コンテスト出場を決めた理由
――コンテストに出ようと思った理由を教えてください。
まだコロナ禍の2022年に東京へ出店しましたが、渋谷でお客さまハントをするなど集客に苦しむ期間がありました。同時に名古屋から2年半ぶりに東京へ戻り「私は東京でどこまでやれるのか」と思う気持ちもありました。その2つが交わって「何かで結果を残して、JURKというサロンを押し上げたい!」、代表の沢井がコンテスターだったこともありクリエイティブの火を消したくないという気持ちもありました。
――元からクリエイティブが得意だったのでしょうか。
通っていた学校の校風もあり、学生時代からコンテストや作品撮りに取り組んでいました。先生もコンテストに出ていたり、自分にとって当たり前に取り組むことではあると思います。けれど、学内コンテストで優勝したことはなかったですね。

――デザインカラーにはいつ目覚めたのでしょうか。
高校卒業後、自分自身をハイトーンにしたんですね。全くブームではなかったですし、ウリにしようなんて思ってもいませんでした。ただ、自分がハイトーンだとモデルさんやお客さまもハイトーンの方が多くなってきて。そのうちに、ハイトーンの似合わせ、私ならではのバランスみたいなところに自信がつきはじめました。



――ヘアカラーが得意だ!と思ったのはいつですか。
アシスタントの時に、インスタグラムで投稿したヘアアレンジの写真が拡散されたことがありました。その写真が、ヘアカラーを生かすアレンジだったのですが、自分が好きなものを打ち出した結果だったので、多くの方に受け入れてもらえた。多くの方にとって目新しいデザインだったんだ!と思えたことがあって、その時にこれでブランディングしていこう!と思いました。
その投稿以降、カラーモデルさんに困ることはないほど連絡をもらって、1人ひとりへの似合わせもそうですし、自分らしいヘアカラーについても追求できたと思います。
トレンドセッターにも王道派にも刺さる
デザインの追求
――約2年間コンテストに挑戦して得たことは何ですか。
ある方に「挑戦の報酬は、成功じゃなく成長だ」と言っていただいたことがあるのですが、本当にその通りだと思います。また、自分の得意分野、例えばヘアカラーの技術であったり、ファッションとのバランス感覚だったりをより研ぎ澄ますことにつながりました。
1つのスタイルのクオリティを上げ続ける作業は、1人ひとりのお客さまと向き合うことにつながっていました。コンテストの熱量が、サロンワークにも生きると思います。

さらに、クリエイションをやっている美容師さんにも「オシャレ」「上手い」と思ってもらえる作品、かつリアルスタイルを得意としている美容師さんにも「今っぽい」と思ってもらえる、本物の“リアリティブ”を自分が好きなテイストで追求する過程がないとコンテストで入賞はできないので、本当に勉強になりました。
いろんな方からどう見られるか、どういう反応があるかというのは、高校1年生から続けているインスタグラムの投稿のおかげもあるかもしれません。当時から更新頻度にも気をつかっていたくらいなので。

――ご自身が得意なことは何だと思いますか。
ハイトーンカラーの中でも、配色のバランス。カットだったら、やわらかいニュアンス。女性らしさや、自分にしかつくれないムード感、学生の頃から好きな“かわいいけど、ちょっと攻めている”そのカテゴリが得意です。
自分の中で「コンテスト3か条」があって、すべてを満たすように自分が好きなものを当てはめて調整していました。

――配色のバランスはどうやって考えていますか。
過去インプットしたもの、自然と吸収しているものを自分の中で混ぜてアウトプットしている感じで、これを参考にする!というのはありません。月に1回以上は美術館を訪れたり、中世ヨーロッパを感じる建築を見に行ったり、例えば教会を訪れステンドグラスを眺めたり。時々自然の風景の中に身を置くと、自分の感性が研ぎ澄まされる感覚になります。芸術家だと印象派、特にクロード・モネが好きですね。

スピード感と行動力で良い転機をつくる
――今のご自身を語る上で欠かせない転機があれば教えてください。
1回目は、JURKへの入社です。東京で働きたいと思っていたので、JURKにやりたいことはあるけれど、名古屋という未踏の地に一歩踏み出せずにいました。迷っていても仕方がないと人生で初めて名古屋に行き、代表の沢井にカットしてもらったんです。その後すぐに「JURK東京を出したいです」と言って面接を受けました。
2回目の転機は、東京へ戻ってきたこと。そしてJURKの認知度を上げるためにコンテストへ挑戦したことです。コンテストの準備期間の練習風景などの様子をSNSにあげていたら、お客さまも応援してくれるようになり、コンテストの投稿をキッカケにサロンへ来てくださる方も増えました。コンテストとサロンワークは直結していると思いました。
――迷ったらまず行動するタイプですか?
慎重なタイプなので、いろいろ考えてしまうんですが、迷ったら絶対行きますね。昨年、コンテストの審査員として参加されていたヘア&メイクさんに、パリコレのバックステージにヘアメイクとして入ってみない?と言われたことがあって。私が散々アピールしていたから誘ってくださったんだと思うのですが「断ったら次はないな」と思い、開催の2週間前の打診でしたが代表に相談して行くことに決めました。
――パリコレのバックステージはどうでしたか。
「一皮むけたぜ!」が一番大きいです。世界の舞台はずっと憧れていましたし、コロナ禍でも世界大会へつながっているコンテストをいつも探して挑戦してきましたから。同時に、パリコレでは美容師の仕事では通用しない、とも思いました。何よりも時間の制限があること、指示ももちろん英語ですし、全てが新しい経験でした。

2025年は自分の軸を固め
店に恩返しをする年
――今年もコンテストに出場しますか。
今年は出ないと決めています。2024年は、自分の思考を広げる年にしたいと思い、なるべく多くのコンテストに挑戦し、体力も思考も精一杯使い切った年でした。
2025年は、自分の軸を固めていく年にしようと思っています。美容師の技術を1つひとつ深堀する、例えばメンズスタイル、ショートスタイル、パーマスタイルをもっと極めたいですね。さらに、コンテストでは自分が一番手ではなく、後輩に引き継いでいく、サポートする役割を通してお店への恩返しをしたいと思っています。

――コンテストとサロンワークのつなげ方を教えてください。
つなげないともったいない!と思います。やり方は色々ありますが、やっていない人よりコンテストに挑戦している人の方がカッコイイし、お客さまの施術へのプラスになることは間違いないと思います。美容師にとって「応援される力」は非常に重要ですよね、コンテストへの挑戦、またその発信はファンづくりの1つの手段だと思います。
――これからデザインカラーはどう変わっていくと思いますか。
“その人だけ”のデザインカラーを、いかに提供できるかが大切だと思います。それが自分にしかできないデザインカラー、新しさのあるデザインだったらとてもいいですね。
――朝日さんが大切にしていることを教えてください。
迷ったら、いろいろ考えながら絶対やってみること。あとは、自己開示して自分の想いを語ることです。そうすれば、必ずチャンスをくれる方がいるし、学びたいと言っていれば学ぶチャンスがやってくる、そう思っています。

セルフノート


- 執筆者
- 増田 歩
「CHOKi CHOKi」「Ocappa」「BOB」 etc.からのフリーランスライターです。ボブとショートをいったりきたり、趣味にしたいのはヨガ。